30代共働きの子育て記録

東京から地方都市へ移住したフルタイムワーママの子育てや仕事のはなし。

『ふつうの家族』にさようなら読んだ

体調不良から治りかけの木曜日、無理せず1日お休み(ついに有給休暇は使い果たした)にして積ん読本を読み漁ることにした。もういいや!と思ったら気持ちが軽くなる。

 

著者の山口真由氏は東大法学部主席卒業、ハーバードロースクール修了、ニューヨーク州弁護士で、現信州大学教授、というめちゃくちゃ頭の良いのが経歴にこれでもかと表れている女性。この『ふつうの家族にさようなら』を紹介するインターネット記事でこの人の書く文章に惹かれて存在を知った。

 

「ふつうの家族」にさようなら

 

アメリカと日本の家族に関わる法律を比較しながら、"ふつう"の家族は今も昔も幻想であると説く。

幻想なんだけど、日本で複数世代にまたがる共通の(特に田舎で生まれ育った昭和生まれの長男(まさに我が夫な!)の)価値観は、『長男は代々受け継いだ土地と墓を継ぐもの、それに伴う年老いた両親の介護も当然長男(多くの場合その嫁)の役目』という『家』の価値観がまだまだ根強いのも確か。

一方のアメリカは多様化する家族のカタチ、それぞれのケースに柔軟に対応していくけれど、その分どんどん複雑化していく。

 

本著で紹介されているハーバード大学のハリー教授の言葉が刺さる。

結婚っていうのは、お互いのお互いに対する約束よ。神様なんて関係ないの。相手に約束しているだけ。あなたは家を借りるでしょ?あなたは物を買うでしょ?家を貸してください、家を貸しますという約束。物を売ってください、物を売りますという約束。そういう契約に、神聖な意味なんてある?結婚も、契約の一種。家を借ります、物を買いますの延長線上にあるのよ。あなたと一緒に暮らします、家計にお金を入れます、性的には排他的な関係を維持します…。家を借ります、物を買いますに比べて、約束する内容は膨大よ。でも、基本的には同じこと。結婚というのはね、相手を縛る権利と相手に縛らされる義務。その集積なのよ。それ以上でも、それ以下でもないの。

 

読んでいるうちに、日本の法律で生きる私が結婚したことで得た利益ってなんなんだろう?夫と結婚した理由って何だっけ?と疑問が湧いてくる。

結婚しよう、と言われていいよ、けど私一生働くからね。と答えてそこから実際に籍を入れたり結婚式をあげたのは、単純に勢いだった。私達はそれなりに古い人間で、結婚となったら籍入れると思い込んでいたし、そこに伴うメリットデメリットの精査は全くなかった。

婚姻届を書いている途中、改姓を余儀なくされて初めて、え、こんなん嫌だ。となる。一度夫に私の姓になることを提案してみたけど、え、何言ってんのって顔された後無理だよの一言で終わった。私たぶんこの態度について死ぬまで文句言うと思う。(私的な理想の態度は、『逃げ恥』で事実婚からみくりが妊娠したことで籍を入れることになった時にみくりが平匡さんの姓になることを告げた時の平匡さんの回答。本当に下手に出て、お手数をおかけします、と一言。これだけで全然違うのに。)

改姓により旧姓で得た特許などの成果は別人のものとなる。配偶者控除の恩恵はない。配偶者は福利厚生の対象かもしれないが、だいたい正社員の共働きならお互いの福利厚生で事足りる。相続税の優遇もあるかもしれないけど、夫が先に死んだら、夫が受け継ぐであろう土地と墓も私が一時的にでも引き継ぐことになるのだよな…いらない…義母はきっと長男が帰ってきたことでその辺の整理は夫がやってくれるものと思っている。いいなぁ気楽で。私はこれをこのままイチタやニコに継がせるのが正解だとは思っていないよ…。

 

とまぁ、私は特にフェミニストではないけれど、改めてちゃんと考え出すと共働きで配偶者控除の限度額以上に稼ぎのある女性にとって、結婚するメリットって家計を共にして生活費と投資を分担することである程度の水準に保てること、子育てのパートナーを得ること(これも相手によっては戦力にならずワンオペが待っているという悲劇も)以外に本当ない。てゆーか改姓というキャリア的には一度だってやりたくない手続き的にも悪夢な出来事しかない。

 

すでにいろんな人が言っているように、少子化対策は、ここなんじゃないかと私も思う。まず結婚したいと思う女性がいないんじゃない?特に教育をちゃんと受けて頭の良い女性ほど、そしてそれは同時にかなりの確率でしっかり稼ぐ女性ほど、結婚による恩恵ゼロなんだもの。結婚したら当然のように子ども求められて、子ども産んだら罰みたいな待遇だったり(稼いでいる家庭程児童手当なくなったりさ…これを罰と呼ばずになんと呼ぶの)自己責任言われたりする世の中で、結婚したい、って随分お花畑だな…と過去の自分含めて思う。

 

この本読んで良いな、と思ったのが、点滅する家族だからこそ、家族でい続けるために努力するんだ、という著者の結論部分。『家』から『個人』に向かう流れは止められない。私は夫の死後『家』を持ち出してイチタやニコを縛ることをしたくないし、彼らの世代もそれも望まないと思う。だけど、それを頭の隅に入れつつも、この4人が家族でい続けられる努力をしたいと思った。