子供のための人工親友(AF)というロボットの視点で描かれる物語。
AFとは何なのかの説明は一切なく物語は始まるが、読み進めるにつれ明らかになる第2世代のクララと第3世代のAFとの違いや、AFを持つ子ども達の側にも『向上処置』を受ける、受けないで全く変わってくるその後の人生というのが交わされる会話などから垣間見える。
子供を失くすかもしれないと思った母親がAFに子供を演じさせようとする考えは、いやありえないでしょと思いながら、じゃあ自分の娘を娘たらしめるものは一体なんなのか?突き詰めて考えたらよく分からなくなるけれど、滝でのクララとクリシーとのやりとりみたいに、娘を演じるように頼んでおきながら『ジョジーのふりするんじゃないわよ!』、『ジョジーはこんなリアクションしない!』と怒っては母親はこんな計画を立てた自分に自己嫌悪するだろうなと思った。
クララが最後に言ったように、ジョジーの特徴を全てコピーすることはできても、母親、父親、リックの中にいるジョジーを全て満たすジョジーにはなれなかったと思う、というのはなるほどその通りだなと思った。
『わたしを離さないで』の時も感じたけれど、使われる側、利用される側の立場で描かれる物語描くのうますぎませんかイシグロさん…