30代共働きの子育て記録

東京から地方都市へ移住したフルタイムワーママの子育てや仕事のはなし。

受験と進学の新常識読んだ

受験と進学の新常識 いま変わりつつある12の現実 (新潮新書)

 

日本に住む子供達が選択できるあらゆる進路の現状についてザックリ知ることができる。

私自身中学受験経験者だけれど23年も前の話だし、中学受験生だった当時の私の私立へ行くモチベーションは「小学校にいる男子は嫌いだからとにかく女子校に行く」これだけだったのに加え、両親は「私立に行かせとけば全てうまく行くだろ」程度の考えの人達だったので、自分が親の立場で子供の進路の選択肢について理解するためには、自分の経験というのはあまりというか全くアテにならないなと思っている。

 

特に刺さった文章。

受験生に求められるものとして、大量の課題をこなす処理能力と忍耐力だけが残った。付随として、与えられたものに対して疑いを抱かない力も求められるようになった。この3つこそが、現在の日本の受験システムの中での「勝ち組」になる条件となってしまっている。

それを無批判に受け入れて「勝ち組」を目指すのか、あくまでもそれとは一定の距離を置いてできる範囲で進学を目指すのか。途中でブレないように、受験生や保護者は予めスタンスを決めておいた方がいい。

p.76 第3章 最難関大学への"王道"あり

 

中学受験の段階で、子供自身が受験勉強の重要性とか目的を真に理解して受験勉強に邁進するケースってかなり稀なのではと思っている。子供は(なんなら大人も)放って置いたら遊ぶしゲームしたいし漫画読みたい。それを、受験のための勉強をさせるって相当な労力を伴う。なので大半の親は塾へ突っ込んで終わりで、成績がふるわなければセカンド塾に行かせるかひたすら勉強しなさいと言う親になるか、どちらかじゃないだろうか。私はどちらも嫌だ…いつか必ず『勉強しなさい』と言わなきゃいけないなら、それはなるべく後ろ倒しにしたい。というわけで中学受験生の親になるのはパス!

 

知識の詰め込みだけではダメ。思考力を鍛えなければいけない。誰もが口をそろえる。ときに知識とは何か、思考力とは何か。私たちはそれすら明確に説明できないことに気づく。それでは知識の詰め込みを否定することもできなければ、思考力を育てる教育を設計することもできない。

p.105  第6章 中学入試が多様化している

 

私にとって中学受験=知識の詰め込みだった時代。算数はテキストのページをめくってもめくっても○○算(つるかめ算、とけい算…)で、いったいいくつ覚えたら良いんだろう、と子供心に絶望した記憶がある。

この後に書かれている首都圏中学模試センターの『思考コード』はすごく分かりやすい。そして最近の中学入試では、論理的思考も問われるとな。23年前の受験生で良かったよ…。

ここまで読んで、中学受験は嫌だ(私が)!と子どもの進路の選択肢から外すのは(東京に住み続けた場合)良くなかったな、と反省した。

 

「進路づけ」のパターンが、首都圏と地方都市とでは違うのだ。地方の感覚で「中学受験などしなくても、一流大学に合格できる」というのも論点がずれているし、首都圏の感覚で「公立よりも私立の教育が優れている。地方の教育は遅れている」というのもまた違う。そもそもの教育文化が違うのだ。

p.152 第9章 地方では公立高校が強い

 

地方都市に引っ越すので、子供達は保育園の次はそのまま公立小学校、公立中学校と進む予定(他に選択肢ない)。となると高校受験が必至となるわけだけど、さて、ここまでである程度のレベルの高校を目指せるレベルに仕上げるには一体どうしたら?という疑問に、公文とかね、そろばんとかね、いろいろあるよね…この本でもそのメリットデメリット、深掘りしてある。そして私個人的には、『ここまでである程度のレベルの高校を目指せるレベルに仕上げる』こと自体にもやや違和感がある。

 

とりあえず頭良い子は上狙っとけみたいな受験への取り組み方が、子供本人が本当に何が好きなのかを見えにくくさせるのかなぁと思っている。ただ一方で、高校受験がなく、大学受験までのほほんと過ごせる中高一貫校にいても、たかだか13歳から17歳までの間に自分が本当に好きなものなんて見つけられなかったから、それならとりあえず上狙っとけ!となるのは仕方ないか。それよりも日々の勉強の中で、自分は何が得意か、何を勉強している時が一番楽しいか、そこに意識した方がいい気がするな。自分を棚に上げて子供に過度な期待はしない(言い聞かせ)。

 

イチタ4歳、ニコ2歳。これまでそれらしい知育的なことは一切していない我が家。イチタはすでに「小学校なんて行きたくない。保育園だって嫌だ。」と不穏なことを言っているので、我が家の教育方針については引き続き柔軟に考え続けよう。。