30代共働きの子育て記録

東京で暮らすフルタイムワーママの子育てや仕事のはなし。

走ることについて語るときに僕の語ること読んだ

先日読んだ一流の頭脳で、毎年ノーベル賞候補にあがるほどたくさんの素晴らしい作品を作り出している村上春樹だって走ってるでしょ、ほら、走ることについての本まで書いてる、と例に出されていたこの本。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

村上春樹の作品はだいたい読んでいるし、作中に出てくる主人公もよくランニングやスイミングを日課にしているので作者にそういう習慣があっても不思議ではないのだけど、私が今回これを読んでみようと思った目的はただひとつ

 

どうやって習慣にしたんですか

 

これに尽きる。

 

身体が無意識にそれを始めてしまうレベルになるまで、どうやって続けたんだろう、そのヒントがないかなと思って読み始めた。

 

やはりというか、習慣化が絶対うまくいくコツやヒミツなんてなかった。しかし今回読んでよかったのは、村上春樹が日常的に走り始めたのは、今の私と変わらない年齢からだったと知れたこと。そしてやはり最初は少ししか走れなくて、今日は嫌だな、走りたくないな、と思う日も当たり前にあるし、実際どうしても面白く思えなくてしばらく走ることから離れていた時期もあったと。

 

それでもやっぱり再び走ることが習慣になったのは、自分の性格が走ることに比較的向いていた、それだけ。と村上春樹は語る。

 

長編小説を書くのと、長い距離を走るのは似ているそうだ。一番調子が良くどんどん走れそう、と思ったらそこでやめる、そうすると次の日もスムーズに始められる。調子が良い時にそのまま出し切ってしまわない、細々と、淡々と、続けることにかなりの神経を使うという。

 

走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。僕らにできるのは、その『ほんの少しの理由』をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。

 

 これから先も走ることを真面目に習慣にしたいなら、「今日は(◯◯だし)いっかぁ〜」なんて日をあらかじめ設定した休息日以外に安易に設けてはいけないのだ。それをしたら最後、ズルズルとやらなくなって、また習慣化できなかった、という罪悪感や自己嫌悪が襲ってくることが目に見えている。

 

少しでいいから、今日も走る。