30代共働きの子育て記録

東京から地方都市へ移住したフルタイムワーママの子育てや仕事のはなし。

夏風邪につぶれた1週間

昨年の夏はイチタと私がコロナに罹患し疎開していた。

 

今年の夏はニコに始まったしぶとい夏風邪(5日間に渡る高熱と治らない咳)がイチタにもうつり、WFH/kidsを余儀なくされた私にももれなく。

 

やっぱり夏は苦手だ。

 

丸1週間家に引きこもり風邪の子供を面倒見ている時特有の、メンタルまでふさぎがちになる週末。子ども達も相当疲れているしストレスを溜めている様子だ。

 

早く良くなれ、夏休みはもうすぐそこ。

古き良き日本企業のワーママを応援したい

ワーママのブログで読んでいて辛くなってくる人が2人いる。定期的にチラ見するんだけど、どちらも古き良き日本企業で3人も子育てしながら(かつ…ワンオペで!!)頑張っているのに全然評価されずに悶々としているという印象。

 

私も新卒で入った日本の会社に今も居たらこういう思いをしていたんだろうな、と想像しつつ、さっさと外資系に転職しちゃえば良いのに、と思うのだけれど、古き良き日本企業が変わっていかなきゃ本当の意味で日本の女性が働きやすくなる社会とは言えないのだよな、彼女たちがいなければ、変わることもないのだよな、とも思う。

www.nikkei.com

 

私が今年3月に2回目の転職した先は、外資系グローバル企業とはいえ地方都市に製造拠点を構えて30年程になる工場が職場なので、ローカル色もかなり強く、実は最初ちょっと不安だったのだが、マネージャークラスはきちんと教育されていて(少なくとも表面上は)理解のある印象。この"少なくとも表面上は"というのが実はかなり大事だと思っていて、内心で何を思っているかは別として、セクハラ、パワハラになるような発言がその辺のマネージャークラスのおじさんの口からうっかりでも出てこないらしいぞという安心感は大きい。新卒で入社した会社は気を抜くとすぐにそういう言葉をかけられて、後から思い返してうわあぁ、私あんなこと言われたのにヘラヘラやり過ごしちゃって、なんでもっとキツく言い返さなかったんだろう、などど思い出し怒りしたり自己嫌悪したりしていた。そういう時間程無駄なものはないと思う。

 

その見ていて辛くなるワーママのブログ、2人ともおそらくすごい仕事ができるひとだ。そして仕事ができるがゆえに、上司である仕事しないおじさん(そして年功序列でマネージャーになれちゃってるおっさん)に嫌われている。彼女たちからすればそんなおじさんには嫌われて結構、なんだけど、そのおっさんマネージャーらに可愛がられている後輩の男性とかにどんどん抜かされて落ち込んでいる。このおっさんマネージャー(妻は専業主婦で家庭のことは丸投げの昭和スタイル)が全ての元凶な気がしてくる。日本企業によくいるこういう仕事しないおっさんは、これからの時代の流れで自然淘汰されて絶滅していくことを切に願う。

 

見ていて辛くなるのが分かっていながら、定期的に見に行っては彼女たちの浮き沈みに一緒に一喜一憂しては応援している。

母親になって後悔してる読んだ

もし今の知識と経験を持って過去に戻れるとしたら、あなたは母になる/子供を産むでしょうか?

母親になって後悔してる

出産を機に母親にのしかかる重圧。子ども達を愛している、それは疑いのない事実。でも、私は母親にならなければいけなかったのだろうか?

こんなこと、この本を読むまで考えもしなかった。私にはもう子ども達がいない人生なんて考えられないし、子ども達がいたからこそ見えた景色、経験できた出来事、まだ4年ぽっちなのにたくさんある。イチタを授かるまでに不妊治療とまではいかなくても1年半と時間がかかり、私自身が強く望んで迎えた妊娠出産だったと間違いなく言える。なので、この本で著者が研究対象とした母親には私は当てはまらないことになる。でも、読み進めていくうちにあぁ、これ私だ、あの時の、あの場面の、私だ、と思った。

 

グサクサ刺さった2章。この本の著者はイスラエル人女性なのだが、日本でもこの世間一般に期待される『母親像』が強すぎて母親自身にも呪いをかけてると思う。

 

p.66 2章 要求の多い母親像 『良い母親』と『悪い母親』:彼らは常に『母親像』を追いかけている

フェミニスト作家のロジカ・パーカーはこう述べている。『子どもは、多少の困難を伴いながら、母から離れた一個人であるという感覚を増大し続けるが、女性は母という概念の中でアイデンティティを進化させる。赤ちゃんの頭を支える母から、ベビーカーを押す母へ、手を振る母へ、差し出す手を握るのを待つ母へと。しかし、常に母である。子どもが母から離れて『垂直方向に』成長するのに比べて、水平方向に伸びていくのである。』

子どもの将来を考えて、その時あたしいくつだろ、と計算するといつも軽く絶望する。その時の私に一体何が残るのか、青年期にかけ輝きを増していくであろう子ども達を前に、彼らに嫉妬せずに自分の人生を楽しめるかは、今からどれだけ自分を大切にできるかにかかっている気がしている。見た目だけの問題ではなく、中身も。

母の感情は、子どもの行動や時間、空間、母にできる支援に応じて、一日の間にも長い年月の間にも、確実に変化する可能性があるにもかかわらず、期待されるのは、すべての母が同じ感情を、一貫して持ち続けることなのだ(中略)疑問や条件なしにわが子の一人一人を愛し、母であることに喜びを感じなければならない。

これは日本で子育てしている母親みんな頷くところじゃないかと思う…通りすがりのおばあちゃんに『一番可愛い時ね』って言われても、そうですね、可愛くて仕方がないです。と素直に返せる母親、日本にどれくらいいるのだろう。

 

p.154 4章 許されない感情を持って生きる 過去の私と今の私

マヤ(2人の子供の母親)

娘は、見た目が私に似ています。浅黒い肌に巻き毛の髪-(白人が多い社会では)珍しい外見です。(中略)一緒にお風呂に入っているときに、3歳の娘が言ったんです。『ママ、色が落ちないの。ここはいいのに(マヤは手のひらの白い部分を指す)。ここは茶色すぎるわ(マヤは手の甲を指してこする)』。それからの2週間…自分がどうしたらいいのか、わかりませんでした。娘に何をしてあげたらいいのか。突然、子ども時代の不安がすべてよみがえりました。

日本でしか生活したことないけれど、この母親の絶望というか、あ、また私が経験した不安、不幸をこの子も繰り返すのか…というやるせなさは想像できた。そして皮膚の色などの分かりやすい身体的特徴以外にも、特に母親と娘という関係は、母親とその母親の関係を引きずってしまうよなぁと思った。私自身、イチタは私とは別の個人であるという理解が赤ちゃんの頃から難なくできたのに、ニコに対しては成長するに従ってつい自分と重ねてしまってニコ個人の尊重ができてないと思う場面がしばしばある。そのたびに、ニコはニコなのだ、私じゃない、と言い聞かせる。女の子を育てるのは、実母との確執がある私にとっては難しいことだと感じてしまう。

 

この本では研究対象となった後悔する母親に様々な質問を投げかけて、その回答を紹介しているが、そのひとつひとつに、後悔していないはずの私にも思い当たる節がある。母親だって人間なんですよ、そりゃ後悔することだってありますよ、ここ(母親になったこと)だけ後悔してはいけない聖域とかタブーなんかじゃないですよね、ということをこの本では投げかけている。

子育てに悩んでいる母親に対する、母親なんだからあなたがしっかりしなきゃ、とか、あなたが自分で選んだ道でしょう、なんてアドバイスは、アドバイスなんかじゃなくほとんど暴力に近い言葉なのだと思った。

HelloFreshおためし

コープデリのミールキットに飽きてきたところに、日経ビジネスで見かけたひと手間かける美味しいミールキット"HelloFresh"のサービス。生協は配達エリア外だと買うことすらできないけど、これはヤマト運輸が配達できる場所ならどこでも届けてくれるようだ。早速お試しポチ。

 

ファミリーメニュー、4人前の3レシピ購入、確か割引入れて5,000円くらい?量は充分あった。ただ…

 

調理めんどい!

 

まず袋に野菜がゴロゴロ入っているのを見てこれを全部切るのか…と気が重くなる料理苦手な夫婦。

届いてすぐに夫が1メニュー夜中に作っておいてくれたのだが、調理目安20-30分のところ、1時間くらいかかったそう。私も作ってみたけど目安時間は手際良すぎる。全然収まらない。

でも自分ではなかなか選ばない食材だったり味付けだったりするので、新婚ほやほやDINKSカップルとかなら二人で話しながら料理して美味しい料理食べれたら、楽しそうだなと思った。

 

共働きで夫婦共に料理はあんまり好きでも得意でもないうえに職場遠め基本出社で朝夕とにかく時間がない、子どもは未就学児で帰宅後すぐにごはんにならないと腹ペコ不機嫌大騒ぎ、という我が家にはかなり手間のかかる印象のミールキットであった。

 

まだしばらく生協の炒めるだけのミールキットと冷凍食品でいいや、という結論に至った。

 

最近のお決まりコースは…

水曜日コープ配達、その日はミールキットの作り置きがない状態で帰宅するので配達された冷凍餃子でしのぐ。ミールキット1つか2つ作っておく

 

木金土日と調理済みのミールキットを温めて出すだけ。在宅勤務などで余裕があればミールキットの調理を進める。

 

月曜日か火曜日にはミールキットを食べ尽くすので、冷凍食品(餃子やハンバーグ、コロッケ、メンチカツなど)でしのぐ。こんな感じ。

ミールキットの他にすぐに出せるトマトとか豆腐、納豆、即席味噌汁を出すこともある。子ども達はバナナも。

 

我が家はこんなんでいいや、と思っている。

(共働き夫婦の地方移住)クルマどうする?

今週のお題「人生で一番高い買い物」は、クルマ。

 

まだ東京に住んでいた頃、ニコが生まれた2019年の夏に夫婦で200万円ずつ出して新車を買った。家族も増えたし移動がクルマだと楽だよねー、ということで、夫が欲しいなぁと思っていた車を見に行っただけのつもりが買っていた。人生で一番高い買い物が衝動買いという暴挙。私は産後1ヶ月のボヤァっとした脳みそでいいよいいよ買っちゃえーとなったけど、東京に住んでるなら使用頻度に対する維持費や駐車場の費用を合理的に冷静に考えたら持つべきじゃないと思う。(勝間和代も確かどれかの本でそう言ってた。そう言いながら本人は車もバイクも持ってるっていうところ好き。)私も半分お金出したけど、イチタとニコには「パパのブーブ」と呼ばれているし私もそう呼ぶ。週末家族で出かける時はほとんどが夫の運転だし、SUVタイプなので私には特に狭い道が運転しにくくできれば運転したくない。夫が疲れて助手席で眠りたい時だけ運転している。

 

一方、移住してから必要に迫られて購入した私の車。トヨタの中古車を今年3月に購入した。お値段120万円なり。400万の新車に比べたらなんと安い!

misato33101211151.hatenablog.com

クルマというものにまったく興味がないので、当然好みもなく、どうやって選べば良いのか最初途方にくれた。

子供乗せるならスライドドアがいいんじゃない?とか、車内で動ける広さのコンパクトカーがいいのでは、とか、カタログ見ててもふぅーん、としか思わず。だって夫の車スライドドアじゃないけど子供乗り降りや車内で動けなくても全然なんとかなっている。

ひねり出した条件は、

・コンパクトで運転しやすいこと

・燃費がいいこと(高速道路で長距離通勤)

・バックモニターが付いていること(駐車苦手)

これだけ。中古車販売のお兄さんに進められるまま、これまたほぼ即決で決めた。

 

で、そんな適当に選んだ車で、そのまま出社or工場から直行するため作業着を着て保育園の送迎に行くと、いるわいるわ高級車の数々。無頓着な私でも高級と分かるやつ。わぁ、すごいなぁーと思いながら眺める。時々同じような国産車で作業着を着て送迎に来ているお父さん見かけてホッとする。

 

今夫と話しているのは、今後の車の買い替えをどういうタイミングで行っていくのか?という課題。

夫の車は燃費が悪く、このまま往復100kmの距離を毎日出社すると10年以内に中古車として売るには価値がなくなってしまうほど走ってしまうから、その前に燃費の良い車に乗り換えるか、でも週末家族でキャンプに行くにはある程度容量が必要で、容量のある車はだいたい燃費が悪いというジレンマ…最初の車で愛着もあるから最後まで乗るかぁ、という感じ。一方私の車は基本通勤にしか使わないし最初のスタートが中古車なので、廃車になるまで乗り潰して次回以降もひたすら中古車を買い続けるという戦略で落ち着く。分かってはいたけれど、地方に暮らすと車は足と同じ、必需品だ。

読み聞かせ地獄

『子ども達が本好きになってくれたら嬉しい』

 

私が出産後から一貫している子育ての軸と言ったらこれだけだ。ほんとにこれだけ。これまで習い事ひとつもしてないし、知育もろくにしてないし、食事にこだわることもなくジャンキーなものも与えてしまう、テレビも見せる母親だけど、寝る前の絵本の読み聞かせだけは絶対に欠かさない。子ども達からも毎晩欠かさず寝る前の絵本とくらやみ絵本(部屋を真っ暗にした後寝入るまでのわずかな時間私が即席で作ったお話を聞かせる)はリクエストされるので必ず応えている。

 

そのおかげかイチタもニコも今のところ絵本大好き、図書館大好きなのだが、読む絵本の長さがどんどん長くなってくるのが最近のしんどいところ。読むのは苦じゃないし好きなのだが、口が乾く、時間がかかる。子ども達の望むままに読んでいたら、寝る時間がどんどん遅くなってしまうのが悩ましい。

 

最近読んでいて子ども達が大好きな本は

 

忍たま乱太郎シリーズ

かいけつゾロリシリーズ

 

これらはもう図書館の在庫全部読んじゃう勢い。

で、次どうしようとなると、イチタについてはもう短い絵本ではふーん、って感じで満足できない様子。ニコはまだ短い絵本でも充分楽しそうなので楽。

 

おしり探偵とかかなぁ…早く自分で文字追って読めるようになって欲しいなぁ。

 

絵本探してたら、子どもにとってのごはん(栄養になる)本と、おやつ(娯楽)にしかならない本があり、かいけつゾロリはおやつ本に値するっていう記事を見つけたんだけど、なんだろすごい違和感…本に栄養もなにもないだろ…楽しいから読む、娯楽が読書のベースにあって、そこから難しい文章を読み解く力や語彙力がおまけとしてついてくるんじゃないかなぁ。

 

というわけで私は今後もイチタとニコが楽しいと思えるような本を探し続けるし、それは別に名作でなくとも(名作も楽しんで欲しいけど)少しくらい下品な本でも、そこに学びなんてなくても全然構わないや、と思うのでした。

学びたい欲

子ども達が小学生になったら、もしくは移住先での共働き生活や今の仕事にもっと慣れてきたら、お金をかけて勉強したいなぁと思うようになった。

 

少し前までは、社会人が大学入り直すとか大学院へ行くのって、結局学歴のためなんだろうな、学歴のためだけならお金かける意味ないよなぁ、と思っていたのだけれど、最近考えが変わってきた。

スタートからキラキラしてないので今も学歴をキラキラさせることには全く興味がないんだけれど、個人で学ぶのって本読むとかセミナー行くとか、やはり限度があるし、体系的に学ぶこと、仕事にすぐ直結しないことでも興味のあることを突き詰めて考えたりレポートにまとめたりすることを、ある程度のお金と時間をかけてやるのは今後の長い仕事人生考える上でも有意義なことなのかなと今は思っている。これまでの仕事で関わってきた海外の同僚見ると、特に欧米は博士号やMBA持ってる人ゴロゴロいるし、働きながらでも新しいことを学ぶことにすごく積極的な印象を持った。

 

じゃあ一体なにを学ぶのか?という問いに答えはまだ出ていないのだけれど、ケチなので専門実践教育訓練給付制度を利用できる大学や大学院のカリキュラムの中から興味持ったものにチャレンジするのでも良いな、と思っている。

 

子どもが小学生になって宿題やる時に、私も一緒に何かを必死になって勉強したりレポート書いたりしている、という図になったら良いな、と想像する。

(こういうイメージだいじ)